2016年5月19日 (木)

『あれから早5年が経つ』

早いもので、あれから5年が経った。

5年前、勤務地の旭川から札幌本社への転勤命令が出た。

そもそも24年前に、以前勤務していた日立系の会社で転勤の辞令が出て その時に家族と別れて暮らすことに疑問を感じたので退職し今の会社の旭川営業所に再就職した後10年余り営業所々長を務めた訳だが・・・やはり転勤はしたくなかった。

正直、再び会社を辞める決意をして社長に伝えたが結局のところ辞めずに転勤し今に至る。

何分にも一旦 転勤拒否を口に出したものだから本社にいても上からの風当たりが強かった。

個人的に、可愛くなかったのであろう。虐め抜かれた・・・・何をやっても否定された

何度も会社を辞めようと思った。・・・でも家族の生活が有る。・・・辛かった・・

上にハダフダ言われないように寝ないで死ぬ気で働いた。

3年前の56才の時に役職定年を迎える年齢となった、それまでは部長代理(一般には課長職)だ、56才で平社員となる、それを機に会社を辞める決意を固めていた。

決算期を過ぎても、56歳の誕生日になっても会社から役職定年の通達は無かった。

その年の11月のある日、取締役部長への昇進の通達が貼り出された。

気が付いたら 今は実質 社長、常務、そして私・・・100人程度の中小企業だが、それでもナンバー3になっていた。

こんなわがままな私が、ずいぶん遠いところまでやって来たものだ。

それから再び今日に至るまで、また寝ないで働いている。

きっと過労死しても役員だから労災にはならないだろう。

でも、なんだか それでも満足な気がする。

後は子供達が幸せになったのを見届けるまで現役で走り続ける事にする。

2011年1月 2日 (日)

『穏やかな新年』

今年の正月はとても穏やかな正月であった。

北海道・・特に旭川は豪雪地区でありまた非常に気温が下がるところであるが今年の正月は雪も・そう降らず・・暖かであった。

福岡に転勤になった長男も帰郷し家族4人+1匹・水入らずの正月であった。

特段・年末ジャンボ宝くじが当ったほど大騒ぎする幸せでは無いが・・・家族全員が健康でこの何も困った事や心配事が無い時間が小市民として至福のひと時である。

ただ、敢えて申せば、この幸せがいつまで続くのか・・・・また、どのようにして この幸せを維持すれば良いのか・が・心配性の自分にとって唯一の心配の種である。

まぁ~上を見ても下を見ても限りは無いので・・・このささやかな幸せで良しとしよう。

Src

2010年12月26日 (日)

『あ~っと言う間の一年間』

なんだ・かんだと公私共に大騒ぎしていたら・・・あ~っと言う間に年末だ (ーー;)

特に今年は時間の経つのが早く感じた。

アインシュタインの"相対性理論"などでは『人により時間のスピードが違う・・・』なんて記述があるが・・・・現実的に体感できる違いは無いだろう。

ただ・・・年齢により時間の経過についての感じ方は違うのではないだろうか?

と・言うのは、例として1歳未満の子供にとって1年間というものは未だ体験した事も無くとてつもなく長い時間である。

が・・しかし50歳過ぎの私にとっては、たかだか自分の生きてきた1/50に過ぎない。

この長くも苦しかった(ある意味楽しかった)50年に比べれば1年間なんて楽しくも苦しくも所詮あっ~と言う間の時間である。

そう考えると『いゃ~今年一年間・早かったなぁ~』なんて呟いている小学生を見た事も聞いた事も無い。

逆に自分の周りの同世代・・・いやいや歳を増した諸先輩になるほど時間が短かいと呟くようである。

高校生時代に、あまりにも勉強が出来過ぎて無期限で登校しなくて良いと言う"お沙汰"を三度ほど頂いた時の自宅軟禁生活は流石に時間が長かった気がする。

まぁ~実のところ俗的に言い回せば"無期停学"ってやつで凝り性の無い性格の自分は喧嘩やカツアゲで三度も有罪になってしまったようだ・・・・。

まぁ~昔テレビでやっていた"ビーバップ・ハイスクール"を地でいったようなものである。

でも・・・まぁ~勉強が出来たので卒業もできたし・・・良しとしよう。

時間が経つのが早い話から脱線してしまい赤裸々な昔話となってしまった・・・・(^_^;)

いずれにせよ今年も数日となったが一生懸命に走って無事年を越そう。

Myhome00

2010年12月 4日 (土)

『自分を磨く』

「やる気が出ない」「気分がのらない」仕事の手を抜く時に使う、いちばん安易な言い訳である。

人の体調や精神状態には一定の波がある。それは事実だ。
だが、それを言い訳に使っているようでは、とてもプロ社員とは言えない。
ビジネスは戦いである。会社は戦場だ。

戦場でやる気が出ないからと言って、銃を構えない兵士がいるだろうか。
もしいたとしたなら、それはただ死を待つだけである。

命拾いしたとしたら、同時に戦う仲間たちの足を確実にひっぱることになってしまうのだ。
自分の「やる気」は、自分でコントロールする。それも自分の重要な仕事だ。

出社して、コーヒーを飲み、仲間と二十分も三十分も談笑して、ダラダラと過ごしてやる気が出てくるのを待つビジネスマン。
一方で、朝来たときにはすでに臨戦態勢が整っているビジネスマン。
どちらに軍配が上がるかは、明らかである。

「やる気」は自分の心のなかでやってくるのを待つものではない。
時が来たら高まるものではない。

自分自身の気持ちで高めるのだ。
もちろん、仕事をしている間は、ずっとやる気を高めているのだ。
そのためには、毎朝出社までの時間は仕事のことを考える。

今日の仕事の段取りを思い起こしながら、さらに効率よくできないかを考える。
仕事がうまくいって、お客さまに喜ばれる姿をイメージする。
上司にほめられることをイメージしてもいい。
どんどん自分のやる気を高めるのだ。
そういう社員に変らなければならない。
始業時間とともに全力で走り出す。
短い時間で集中できる。

そんな自己コントロールができる人こそ、いま求められている人材だ。

2010年12月 1日 (水)

『心のウイルス』

『こころのウイルス』(英治出版)という本を翻訳した上浦倫人氏によると、人間は基本的に、ふたつの力によって動かされているという。

ひとつは「快適さの追求」、もうひとつは「苦痛の回避」である。
こういうと「『苦痛を回避』するということは、それによって快適になるのだから、けっきょく、『快適さの追求』と同じだろう」という人がいるかもしれない。

しかしそうではない。

そこには、「最初に苦痛ありき」か、あるいは「最初に快適さありき」か、という大変な違いがあるのだ。
たとえば、仕事を先延ばしにするひとは、「苦痛回避型」の人である。
こういう人は、そもそも仕事を「苦痛」と感じているのだが、締め切りが近づくと、その仕事が達成できなかったときの恥ずかしさや上司の叱責など、べつの「苦痛」がリアルに迫ってくる。

そこで、ようやくこれらの「苦痛」を回避しようとして、仕事を始める。

締め切り間際になって猛然と働くという人は、たいていこのタイプである。

いっぽう、「快適追求型」の人は、仕事をさっさと、しかも楽しそうにテキパキと片づけてしまう。

なぜなら、彼のなかには明確な目的意識があり、これからやろうとしている仕事は、その目的を達成するための手段として位置づけられているからだ。

つまり、その仕事を片づけてしまえば、その分だけ自分の設定した目的に近づいたことになるわけで、なるほどそれは「快適」な作業に違いない。

私の場合なら、こうなる。

営業管理や社員教育はつらい作業ではあるが、部下達を一流営業マンにするという明確な目的があれば、その目的を達成するための楽しい作業(仕事)に大変身する。

部下との一つ一つの泣き笑いが、一歩ずつ億万長者に近づいている-そうイメージできれば、なるほど、これほど楽しい仕事はないではないか。

まさに「快適さの追求」である。
というのは、半ば冗談だが、じっさいの話、「頭がいい人」は、仕事に「快適」なイメージを刷り込ませるのがうまいものだ。

「苦痛回避型」の人は、まずは「この仕事が終わったら、うまいビールが飲める」「この仕事をやりとげて趣味に没頭する」といったところから始めてみてはどうだろう。

どうせ同じ仕事をするなら、苦痛を感じながらやるより、快適さを感じながらやるほうがいいに決まっているのだから。そして、その快適さは、仕事の好循環につながっていくのである。

2010年11月13日 (土)

『人の年齢って・・・』

仕事柄・・色々な人に出会う。

仕事だけでは無く・・趣味の世界でも沢山の方々と出会うことが多い今日この頃である。

そんな中・・・ふと思う・・・・・

私より年下の方もいれば年齢的に大先輩の方もいらっしゃる。

でも人としての若さって思った時に・・・また色々考える。

私に接してくれる年上の方々は稚拙な私の話もよく聞いてくれ・そして私を立ててくれる。

・・・それが決して心地よい訳ではなく、その人・的な・

立場から考えると・・・往々にして私を吸収している。

いわゆる"順応性"を持ち変なプライドを持たず学べる物は何でも学ぼうとする貪欲なまでの〔頭の柔らかさ〕であると思う。

すなわち"若さ"である・・・・素晴らしい事である。

これから私も、それを見習いたい・・・いくつになっても・そうありたい。

逆に私が知りえる私より若い人達の中には・・・そう大した知識や人生感を持ち合わせないのに、私がチョット・・社交辞令で煽てて見せれば、その気になり、その必要な本質を見出せない若者(馬鹿者)も居る。

特に"チョットした得意分野"があるだけで世が認めるSpecialistでもないのに変なプライド(通称=世の中で言うところの"意固地のオタク")他人の話を聞かない・・・所謂・・・脳が萎縮した老人のような若輩がいる。

企業人として申せば・・・・そのような人間は・・・・・である。

そう考えると、若者(年齢が)だからと言って決して実質的に若いわけではなく年齢が多いから年寄りって言う考え方に疑問を持つ。

言うなれば゜年齢に関係なく寛容的・・且つ・知的吸収努力・を持つ方が"若者"であると思う。

この厳しい経済環境が続く以上・・企業はボランティアでは無いので・・・同じ賃金を支払うのであれば・・脳の萎縮した順応性の無い若年齢の者(馬鹿者)より経験豊かで且つ常に吸収力を持つ発展的な大ベテランを雇用するべきである。

私の"掲示板"などの書き込みでも・・・その点は良く見ると・・・顕著である。

私も、数々の諸氏諸先輩の掲示板への書き込みで礼儀を教えて頂いた事であるが・・・・

人というものは謙虚であり・・人に教えて頂くものは相応の礼を尽くす・・・

それが・・・どうであろう・・?

返信は必ず・・・『ありがとう・・・』から始まるはす゜では・・・

自分が必要な事だけを聞いて(質問の書き込みをして)後は『ありがとうございました』・・・・も・無いのかな?

だから・・そういう輩は・集団生活(社会)から排除されてしまうのである。

・・・それで・・・良いのかなぁ~

まずは現況の厳しさを嘆く前に自分の、その性格を直す事から始めるべきである!

まぁ~どうであれ・・・人としての常識として・・・・・・・自分だけなら良いが・・・親の恥になるぞ・・・・・

まあ~いいやぁ~

ただ・・・・・一言・・・『だ・か・ら・・・あなたは・・今・・そうなのですヨ』

ってな・・・本日の"独り言" (^^)

2010年11月 9日 (火)

『雀の子 そこのけそこのけ・・・・・』

小林一茶・・風味 かなっ

[使用人 そこのけそこのけ  社長が通る]

従業員に対して社長が・・そこを避けろって言っている訳でも無いのに社長が来ると自然と従業員が避けて居なくなり閑散としてしまう会社が見受けられる。

確かに煙たがられる社長にも何かしらの問題も在ろうが・・・

しかし、企業人として上司を避ける従業員は如何なものであろうか・・・????

物分りが良く優しいだけの上司や社長であれば、とっくに中小企業は潰れている。

また、そのような上司に限って"人得"が有るわけでは無く自分が可愛く人に嫌われる事を言いたくないだけで、いざとなったら自分の保身だけを考えるものである。

私は若い頃から顧客や上司・・・特に苦手な相手には自ら寄って行った方である。

『来るな』と言われる程、逆に近寄っていったものである。

別にゴマをするわけでは無いが自然とそう言う位置に立っていた。

そう言う相手は逆に社会において力(実力)も有り私が知り得ない情報や素晴らしい経験を持っており金を出してでも学ばなければものが沢山ある。

そう考えると私は只で沢山のものを学ばさせて貰った事になる。

本当に得した気持ちである。

また、お陰で世の中に私の苦手な相手は居ないく陰になり日向になり私を可愛がってくれる人達ばかりである。

そんな人生観を持ち私が今まで育てた部下にも上司や顧客を煙たがる者は誰一人として居らず社長が来たら自ら側に寄って行く方である。

故に彼らも苦手な相手は無く・・・何処でも・誰にでも・営業してくる。

これが社内最強の営業チームと呼ばれる一因である。

あと・・・もう少しで・・私が居なくても自分達で何とかやっていけるようになるだろう。

定年までは、まだ程遠いが・・目処がついたら区切りをつけよう。

ここ数年おかしな事に何かしら企業人としての死に場所と理由を探している自分に心地よい違和感を覚える。

たぶん・・・・私はキザな"ナルちゃん"(ナルシスト)なのであろう。

Photo

2010年11月 7日 (日)

『秋刀魚を食べる』

先週は、ずぅ~と道北の現場で代理人を勤め週末にやっと帰社できた。

処理場の圧縮プレスの整備である。

一つ一つの部品が3t以上あり危険かつ難しい作業である。

分解した部品を持ち帰り当社の工場で造り直す事にした・・・・と・・言っても持ち帰る部品の重量は・・・2.5t以上になった・・^_^;

あ~疲れた (ーー;)

帰宅すると浜頓別の山本漁業部さんから捕れたての秋刀魚か届いていた。

毎度・・ありがとうございます。  ヽ(^。^)ノ

まずは刺身にしていただき次は定番の焼き物である。

せっかく新鮮な秋刀魚は、やはり炭で焼くに限る。

備長炭で時間がかかりながらも火をおこし焼き網でコンガリと焼く。

当然・荒塩をたっぷりとふってから焼くわけである。

  うまい ! 

今夜も酒がすすむ (^・^)

これでは仕事の疲れを癒すより・・・・・飲みすぎて週明けの体が・・^_^;

まぁ~いいかぁ~  

一生懸命に仕事をして食べたい物を食べ・・呑みたい物を好きなだけ呑む・・

これが私の生き方だ。

Sanma0

2010年10月26日 (火)

『吾輩は使用人である』

最近は夏目漱石・・的・・かなっ  ^_^;

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吾輩は使用人である。名前はまだ無い。

誰に教育されたのか頓(とん)と見當がつかぬ。

何でも暗い雰囲気の電機メーカーの子会社でニヤーニヤー泣いて居た事丈は記憶して居る。
吾輩はこゝで始めて上司といふものを見た。

然(しか)もあとで聞くとそれはサラリーマンという人間中で一番獰悪(だうあく)な種族であつたようだ。
此管理職といのは時々我々を捕(つかま)へて実績を搾取するという話である。

然し其當時は何という考(かんがへ)もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。
但(たゞ)彼に可愛がられてスーと持ち上げられた時何だかフハフハした感じが有つた許(ばか)りである。
焼き鳥屋で一緒に呑んだ時に少し落ち付いて彼の顔を見たのが所謂(いはゆる)管理職というものゝ見始(みはじめ)であらう。
此時妙なものだと思つた感じが今でも殘つて居る。

第一、感情を以て装飾されべき筈の立ち振る舞いが心にも無いお世辞で人に接し見た目だけが薬罐(やくわん)だ。
其後他の管理職にも大分逢つたがこんな片輪には一度も出會(でく)はした事がない。
加之(のみならず)心の一部が餘りに突起して居る。
そうして其偏見から時々ぷうぷうと烟(けむり)を吹く。
どうも言回しは咽(む)せぽくて實に弱つた。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・

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そんなんでェ~

ここ最近・・・連日のように土曜・・日曜日は現場作業に追われ・・・多分年末まで休日は殆ど無い。

貧乏暇無しとは、まさにこの事である。

しいて休めるのは次の土曜日くらいであろう。

でも・・・きっと、こんな苦労は本社の○○方は存じないだろう・・・って言うか・・存じても結局・・自分の辛さを一瞬でも許せないが・・・他人の辛さは10年でも辛抱できる・・・・

まぁ~人間なんて、そんなものかぁ~

今朝は5時起きで網走の役所と打ち合わせ・・・・

明日は同刻出発で最北のお客様と打ち合わせ・・・

昔は卑下した・・・今は、私はその管理職である。

きっと彼ら(諸先輩)も同じような重労働であったのだろう・・・・・

ただ若さゆえ・・・それが見えなかった(理解できなかった)稚拙さかなっ・・

時をさかのぼり、今の私が昔の彼らと酒宴を催したのであれば、きっと美味しく酌み交わせた事であろう。

ところで・・・北海道はもう冬将軍の到来である。

何だか今年は変な気候で紅葉の時期が無かったような気がする。

Burog2

2010年10月22日 (金)

『雨にも負けず 風にも負けず』

なんちゃって・・宮沢賢治・・的・・かなっ ? って思う今日この頃・・・・

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雨にも負けず ・風にも負けず・雪にも夏の暑さにも負けぬ

・・のは・・・気持ちだけ

慾は・・あまり無く

決して顔は怒らず、いつも静かに笑っている

一日に日本酒四合と肴と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分の会社中心に考え・他人の話しはあまり聞かず

そして・嫌な事はすぐ忘れる・・・できないかも

大雪山の麓の小さな町並みのモルタル2階建て亜鉛ぶきの古い事務所にいて

東に購入予定の顧客あれば・行って営業して

西に工事予定の顧客あれば・行ってその工事を請け負い

南の顧客に事故が発生したら・行って商売に結び付けてくる

北に入札や見積もり合わせがあれば・いって参加してくる

商売日照りの時は涙を流し

目標未達の時はおろおろ歩き

社長にでくのぼーと呼ばれ・褒められもせず・叱責ばかりうけ

そういう者に私は、なりたい

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てな・・・事で本日、北のお客様で調達した"帆立"を南のお客様にお土産として届けてきた  (^_^;)

Hotate_2新鮮な この帆立は一般的な吊り下げ養殖の物とは一味違う。

オホーツクの海に稚貝をバラ撒いての天然物だから荒波に揉まれて、かなりマッチョ(筋肉質)に育っている。

その為に貝柱は吊り下げ養殖物のように"グニャグニャ"しておらず"キチットした食感"があり一度お刺身で食べるとやみつきになる。

と・言うか他の帆立の刺身が腐っているかのような錯覚にとらわれるだろう。

枝幸郡浜頓別町の山本漁業部さんの帆立(ホタテ)はTVの"所さんの・・・"とか言う番組でも紹介されたように・たぶん日本一で、これを食べずに帆立は語れない。

また、この山本漁業部さんの美人の若お上は、この帆立以上にシャキシャキしており初対面の時に・・・つい・お江戸出身ですかって聞いてしまった、人柄はサッパリ・シャキシャキ・そして人情家の姉御風である。

またご主人は筋金入り・若手の立派な地域のリーダーであり頼れる漁組々合長である。

人も食材も素晴らしい・・きっと北海道の大自然がなす土地柄だろう。

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